私が高校生とか大学生の時はなぜかこの風潮が強かった。
友達がいない奴=寂しいやつ
学食で1人で飯を食べてるのがダメな雰囲気があった。
だから学食で1人でご飯を食べることなんてなかったと思う。
常に誰かと一緒にいながらご飯を食べるのが普通だった。
いや、何故か誰かと一緒にいなきゃいけないみたいな固定概念があった。
今思えばすごく狭い世界で生きてて、狭い価値観の中で生活してたなと思う。
私自身、高校生時代の友達は0人で大学時代の友達も0人だ。
かろうじて中学生の頃の友達で仲のいい人はいるが、1年に1回会うかどうかのレベル。
土日も祝日も年末年始も基本的には1人で過ごしてることが多いのだが、
別に負け組だとは思ったことはない。
むしろ1人でいる時間の方がラクなことだってある。というか、1人の時間の方が居心地がいい。
例えば、私からしたら「誰かと映画を一緒に観に行く」という行為はあまり考えられるものではない。
1人で見に行くものだと思ってる。
もちろん、1人で居続けてると寂しさは出てくるし人とのつながりは欲求として満たしたくなるので定期的にいろんなところに顔は出しに行ってる。
だが、別に群れる必要性はないと思ってる。
1人でいる時間は大事にしつつ、必要な時は人と会いに行って新しい刺激をもらいに行く。
これくらいでちょうどいいのではないかなとさえ思ってる。
別にわざわざ呼ばれたからと言って全てに出席する必要はないはずなのに、金と時間をかけて自分を犠牲にしてる人が多い気がする。
例えば「結婚式」とかね。
別に行きたくなかったらいかなくていいわけですし、そもそも自分は「何故、呼ばれた自分がご祝儀という謎の金を包まなきゃいけないんだ」と思ってる。
普通に考えて意味不明。
こっちが行ってるんだから、こちらが金をもらうべきだとさえ思ってしまってる。
もっと私たちは自分の生きたいように生きてもいいのではないかなと。
世間の常識なんてクソ食らえだって思いながら生きてた方がよっぽど生きやすいと思うけどね。
自分なんかは会社員が何故スーツを着なければいけないのかみたいなところにずっと疑問を持ってて、社会人になってからスーツを着たのは本当に数える程度しかない。
ずっとその疑問を抱えてて生きてたら、今度は生きていく中でそういう『仲間」が見つけられるようになるんだよね。
『友達』という存在は別に居なくていいけど、『仲間』とか『同志』みたいな人はたくさん居た方がいいかなって思ってる。
「友達がいないといけない」ってのはあまりにも幻想で、周りが作り上げた価値観の中で押し込められて生きていくのはかなり生きづらいと思う。
もっともっと「自分はこうやって生きるんだ」って感じで自由になっていいと思うけど。
表題の件に立ち戻ると、友達が0でも自分の人生が幸せだったらなんでもいいよな。
以上です。
ここがメインの発信場
↓
フォローよろしくお願いします>>
テスト