ひたすら乾いてる。
80万円、100万円が毎月のように振り込まれてきてもとにかく虚無。
何も思わないし何も残らない。
もがいてもがいて自分が何者かになろうとした挙句、行き着いた先は仕事で結果を出して自我を保とうとしてるだけ。
正直、お金なんて毎月50万円あれば生活できる。
いや毎月20万円でもいいのかもしれない。
ってかもはや0円生活でもいいかもしれない。
今自分に欲しいものはお金でも服でも地位でもない。
仲間が欲しい
人から必要とされて、人から求められて、人から愛されるような存在になりたい。
ただただそうなりたい。
自分が満たされたいだけなのかもしれない。
ただ自己承認欲求を満たしたいだけなのかもしれない。
分からない。
何を考えてるのか自分ですらも分からない。
とにかくこうやって情報を発信して、とにかく自分の存在を世の中に示し続けないとなんだか隔離されてるようでとにかく怖い。
そう。ただ怖いだけなのかもしれない。
ただただ怖くて、人が離れていくのが怖いのかもしれない
自分というカッコ悪い存在を世の中に出したくないのかもしれない
今日は神田昌典さんのセミナーに行ってきた。
その後の懇親会ではみんな実績を出してる人もの同士、会話をしてて疎外感を感じた。
ぶっちゃけ蚊帳の外だった。
たかだか年商5,000万円程度の自分なんかに誰にも興味を示してくる人なんていなかった。
本音を言うと、お金の話なんてどうでもいい。
もちろんみんなビジネスをしてて、ビジネスをしてるからこその集まりなのでそれはしょうがない。
でも自分はようやく行き着いた。
月収200万円、300万円くらいになって気づいた
自分はお金が欲しかったからビジネスをしていたんじゃないと。
お金が欲しかったわけじゃない。
人との繋がりが欲しかったから、ここまで仕事を頑張ってきたんだと。
26歳の時、ベンチャー企業に転職した理由は「仲間が欲しかったから」
仲間が欲しかった
とにかく仲間が欲しかった
認めて欲しかった
自分という存在を認めて欲しかった
でも周りの目を気にして出せなかった
だから仕事にコミットをし始めた
現実から目を逸らすように仕事にコミットしてきた
その結果、今はまた虚無。
仕事は楽しい。
だが、虚無。
正直いうと今日は神田昌典さんに会いに行ったわけではなく、原田翔太さんに会いに行った。
なんで原田翔太さんに会いに行ったのかというと、自分がモヤモヤしてる答えを原田さんなら持ってるのではという思いで原田さんに会いに行った。
1回目最初、原田さんと話した時はまともに話を聞いてくれなかった。
モヤモヤしながら今日は何も収穫がないと思って、帰る支度をして出口に向かおうとした時に原田さんが前から歩いてきた
原田さんとせっかく話に来たのに不完全燃焼だったので、最後に挨拶をした「原田さんつまらない話を聞いていただいてありがとうございました」
そしたら原田さんは握手を求めてきて、話をしてきてくれた
「どこに住んでんの?」
それからいろんな話をして、いろんなやりとりをした。
住んでるところ自分が筋トレしてるところ。
正直、雲の上の存在だから全然会話できなかった。
けど、原田翔太さんのことを普段から発信として追いかけてる旨を伝えたら急に顔色が変わったみたいに優しく声をかけてくれた。
その後、自分が今後の方針について考えてる悩んでる節を伝えたら、ちゃんと真面目に答えてくれた。
正直本当に嬉しかった。
自分なんてキャリアの相談をした人なんて今までも誰一人としていない。
でも、原田翔太さんにはなんだか打ち明けられた。
「本の出版はぶっちゃけ無理やり出そうと思えば出せるけど、無理やり出してもそのあとが続かないからとりあえずは〇〇の講座と〇〇を受けた方がいい」
ビジネス抜きでそういう話をしてくれて本当に嬉しかった。
本当に本当に嬉しかった。
30歳あたりの年代って本当に色々悩んだり、これからのことについて悩む時期だってことも伝えてくれてその場を後にしていきました。
なんでか分からないけど、涙が止まらなかった。
なんでか分からないけど、帰路についてる途中涙が止まらなかった。
んで、今家に帰ってきてお酒を飲みながらこの記事を書いてる
正直何を伝えたいのか何を届けないのか分からない
でも、こんなに涙が出てこんなに苦しんでるのは人生でも類を見ないくらい。
ずっと苦しんでてずっと悲しんでて、いつになったらこの呪縛から抜け出せるのか分からない。
もう苦しみ始めて16年が経つ。
いつになったらこの気持ちがなくなるんだろう。
いつになったら、自分を自分として受け入れられるんだろう。
もしかしたら「お金」という呪縛に縛られてんのかなとさえも思ってる。
稼いでも稼いでも乾き続けてる。
自分はビジネスは向いてないのかもしれない。
営利目的の仕事じゃないのかもしれない。
人に役立ちたい。
誰かを助けたい。
誠に勝手ながらこう思ってるのかもしれない。
そうでもしないと自分という存在が、自我が保たれない気もしてる。
自分は本当に何をしたいんだろうか。
なんのために生きてるんだろうか。
本当に本当に本当に本当に本当にこれが自分のしたい仕事なんだろうか
もっと自分は誰かのために何かを残すために自分を最もやしていかなければいけないんじゃないだろうか
高校1年生の夏頃に言われたあの言葉をいまだに思い出す。
「亮介って何もないよね」
この言葉を言われたのが15歳の時。
今は30歳
もう15年も引きずってる
今、自分自身が何者かになれてるかで言ったら何者にもなれていない
なんにもない
自分はどうしたいのか
どうもしたくないのか
分からない
分からないけどとにかく今目の前のことに全力になるしかない
何もない自分だからこそ何者かになるためのストーリーは続いていくのかもしれない
一生見つからないのかもしれない
それでも、自分が生きていた証みたいなものは残したい
それだけは強烈に感じる
だからこうして毎日、情報発信ができてる
負けない
絶対に負けない
自分は何者かになる
絶対になる
その時が来たら、この文章を見返してみたいと思う
その時のためのメッセージ
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